肘タッチで互いにエール
中島:澤先生の大学では、教員の方は一人ずつ芸術家でもあって。なにか大学運営の「秘訣」みたいなものがあれば教えてください。
澤:最初は知らないことも多いので、できるだけ人の言葉に耳を傾けようと思いました。特に自分は学生時代も含めると40年ぐらい藝大にはいるのですが、美術のこととなると知らないことも多かったですので。学長になって最初の2、3ヶ月は、美術学部や、横浜にある映像研究科に見学に行って、各研究室でどういうことが研究されているのか、どういうことで困っているのか、ということを聞いて回ったりなど、「水戸黄門」のようなことをしていました。
そして、やはり私が久しぶり(※大学としては37年ぶり)に音楽学部から出た学長としてやるべき事は、「境界線」を越えた、学部とか校地を超えた交流、総合芸術大学としての藝大を活かすことではないかと考えました。
苦労も分かち合う両学長
中島:学生同士の交流はいかがですか。
澤:最近は随分学部を超えた交流ができるようになっています。「藝祭」と呼んでいる大学祭があるのですが、例のベストセラー本が出た辺りから結構マスコミも面白がって取材に来たりしています。3日間で3万人以上見に来てくださる大学祭です。
中島:へえそれはすごい。
澤:それが突然今年はコロナで中止になったんですが、それでも懲りずに、今度は「バーチャル藝祭」をやろうと。
中島:(笑)。
澤:これはこれで、3万アクセス以上あって。そこで学生たちの製作したものをオンラインで販売したら、それは随分と盛り上がりました。そのうちに「バーチャル藝祭」を日テレの「スッキリ」っていう朝の情報番組で20分間ぐらい取り上げてもらったら、一気にアクセス数が5万件ぐらいに増えまして。
中島:皆さん関心があって。
澤:「バーチャル藝祭」のオープニングとクロージングは、私も葉加瀬太郎(※1)と「情熱大陸」の共演をしました。
中島:他の大学にはないユニークさがすごくあって、外部に対するアピールもしやすいのですね。素晴らしいなと思います。
※バーチャル藝祭2020 https://geisai.geidai.ac.jp/2020/
※1. 葉加瀬太郎さんは澤学長の門下生です。
関係者も学長対談に熱心に耳を傾けました
中島:今後、藝大はどういう方向に向かうのでしょうか。学生さんの就職に対する意識を少しずつシフトしていくのもいいですし、みんな違っているのがいいという考え方もあれば、美術と音楽との融合というのもあるし、科学者とのコラボレーションというのもありますし。
澤:学生のキャリア支援については、卒業生も含めて今すごく力を入れようとしています。
中島:それは就職する段階で、あるいは就職した後もありますね。
澤:キャリア支援というのは、就職先を紹介するということもありますが、やはり芸術家として生きていく上でのできるだけのサポートというところも、今までよりももっと充実させたいです。これまでは、卒業生との結びつきっていうのは結構希薄だったんですよね。藝大生はいわゆる「個人事業主」になる者が多いので、それが「卒業後行方不明」(※『最後の秘境 東京藝大』の売り言葉)と言われる一番大きな原因だったんです。同窓会には、音楽学部と美術学部、それぞれ歴史のある組織があるので、そこをうまく起動させて。
中島:そうですね。
澤:それから、近年活躍の目覚ましい映像研究科や、数年前にできた国際芸術創造研究科というアートマネジメント研究科は、まだ同窓会などを持っていませんので、全学の同窓会をきちんと組織していく。そういう流れの中で、学生、卒業生の支援をしていこうと考えています。
中島:同窓会組織って大事ですよね。
澤:藝大美術学部は「杜の会」、音楽学部は「同声会」でそれぞれ1万人ずつぐらい会員がいて、その会費で、これまでも音楽学部の学生に対して「賞」を出してくださったり、奨学金を設けてくださったりしています。そういう支援はありますけれども、同窓会組織の強いところなどにはやはりまだ及びません。
中島:OB、OGがうまくモデルケースになって、学生さんがそれを見ながら卒業後も歩んでいくとか、あるいは逆に同窓会組織がうまく機能して引っ張ってくれるとか、そういうのがあると非常にいいですよね。
中島:藝大には一流の先生がいらっしゃいます。やはりそのご指導は大切なのでしょうね。
澤:私自身が学生時代から思っていたのは、周りのレベルが非常に高いので、学生同士でも切磋琢磨ができる環境です。
中島:ほう。でも、入ってからも互いに刺激を受けて、自らが一生懸命やらなきゃいけないっていうのは、なかなか厳しいですよね。
私みたいな理系は実験があって、実験なんか本当に新しいことをやろうと思ったら10やって9失敗して、でも、一つでもうまくいったらこれはもう大成功、みたいな感じなんです。でも学生の中には、1回2回実験をやって、失敗するともうそれであきらめて、という例も最近はちょっと増えているような感じです。
澤:そういう意味では、藝大でもそのことはよく似ています。失敗の積み重ねがないと先に行けないんですよね。音楽での練習、あるいは絵でも何枚も描いては捨て、ということを繰り返すのは、実験系の研究者の態度とよく似ています。
中島:粘り、とか、我慢強さ、とか、神経の太さ、みたいなところが欲しいですよね。
澤:今、結構一般企業から藝大生・卒業生が欲しいというニーズが出てきている背景は、一つには今までの経済は効率を最優先してきたけれども、今回のコロナを見ても分かるように、そのままでは社会経済の発展に繋がらない、ということだと思います。
しかも「持続可能な社会」と謳われている中で、新しいアイディア、今までになかったアイディアが求められているということもあります。そういう意味では、芸術系の学生って、自分の追及する芸術に対して、失敗を恐れないというか、失敗に強い。
中島:大事なことですね。企業さんにとっても、そういった打たれ強いところも魅力かと。
澤:そうですね。今では一部上場企業のようなところからも、担当の方が来られて説明会を開いていただいたりしています。うちの場合は、学生の方からあまり「会社訪問」をやらないので。学生達もまだ自分の芸術の活かし方について、視野が狭くなっている者も多いので、その自分のこだわっている芸術でも、実は「世の中には活かせる道がいろいろあるんだよ」と、選択肢を広げてあげたいなと思っています。
中島:「画家」の他にも、いろいろ道は考えられそうです。
澤:例えば工業デザイン的なもの。ダイソンなんかは、英国のロイヤルカレッジオブアートとか、美術系のところから出てきています。
中島:やはり斬新なデザインですよね。
澤:建築、デザインなどは昔から就職率が高いんです。それ以外の実技系というのは、これまで、いわゆる「就職」とは少し縁遠かったのですが、そういう人も含めて、今藝大生が社会で求められています。
例えば音楽教室にしても、子どもの数は少なくなっているのですが、逆に熟年層は多くなっているので、そういう方たちに教える。視野を広げれば、活躍の場は増えます。
実は今まだ本当にプランの段階ですけれども、「藝大こども園」っていうのを作りたくて。
中島:ほう。
澤:保育園みたいなところで、1歳2歳の段階から、芸術教育のようなことも始める。そこで卒業生などが仕事ができる。藝大は東京・上野公園の中にあるので、上野公園の中にそういうスペースさえできれば、「藝大こども園」ができるんじゃないかっていうアイディアです。
中島:芸術の世界はちょっと疎いんですけれども、絵にしろ、音楽にしろ、早く取りかかる方がいいのですか。
澤:音楽の場合は、やはり幼少期にどれだけよい音を聴いているか、というのはとても大切です。
中島:先生も早くからヴァイオリンを?
澤:私は3歳10カ月から。
中島:はあー。これまで知らない世界のお話を伺うと、触発されて実におもしろい。
澤:実は、藝大で「東京藝術大学芸術創造機構」という社団法人を立ち上げました。藝大はおかげさまで、地域、かなり遠方の地方公共団体、それから一般企業、そういうところからの連携事業や受託事業がすごく多いのですけれども、大学としてそれを受けると、かつての国立大学のマインドのままでは、もう忙しくなって疲弊してしまいます。そこで、社団法人を作ってそちらで事業を受けるようにして、Artist Agencyなんかを作る。学生たちの中で、優れているけれどもなかなか発表の場がない人たちにも、適切な配慮をしながら依頼ができるように、そういう機構を作っていこうとしています。
中島:これまでは大学の概念や規制があって、いろいろ「できない」ことも多かったけれど、上手くお金の流れを回して先生方の活動、学生さんの活動が「できる」ようにする仕組みを作らなければいけないな、と感じました。先生のアイディア、いいですね。
澤先生が学長になられて、藝大も変わったという感じですね。
私は去年学長になって、まだ1年しか経っていないんですが、これをやりたい、あれをやりたい、いろんなことをやりたいなと思いながら、1年目はあっという間に過ぎました。2年目になっていろいろやろうと思ったら、このコロナ禍で。落ち着いたら、改めて今、何が問題かというのを見つけて解決していこうと思っています。澤先生、先を走られていて心強い。私も見倣いたいと思います。
本日は大変貴重なお話をありがとうございました。
最後に澤学長の美しいヴァイオリンのご演奏もいただきました
夕暮れの鳥取大学を背景に
※本ホームページの記事は、無断転載、印刷、改変、コピーその他著作権に係る行為を禁じます。